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娘の決断
そして、
娘は自分で答えを出しました。
「通信制高校にする」
その言葉を聞いたとき、
私はすぐに言いました。
「わかったよ。じゃあ、そうしようね」
そして、
「願書、取り寄せるね」
と。
迷いませんでした。
たぶん、
昔の私だったら、
すべての高校を同じ「選択肢」として、
娘の前に並べることすら
できなかったと思います。
でも、そのときの私は
もうわかっていました。
私が握っていた「普通」は、
私たちには必要ない価値観だった。
だから、
娘が自分で選んだ答えを、
そのまままっすぐ受け取ることができました。
その日の夜、お風呂で泣いた
その日の夜。
一人でお風呂に入っていたとき、
ふっと力が抜けたように、
じわっと涙が出てきました。
いろんな気持ちが、
一気にあふれてきたんです。
娘が、自分で自分の道を決められたこと。
「ここなら行けそう」
と、自分の感覚を感じて、
自分で選べたこと。
ああ、よかった。
本当によかった。
そんな安堵がありました。
そして、私自身にも、
「もう、普通はいらない」
という、はっきりとした手放し感がありました。
普通に学校へ行けるように。
普通に卒業式に出られるように。
普通の高校へ進学できるように。
知らないうちに、
ずっと握っていたもの。
それを、やっと手放せた。
娘を、「普通」にあてはめなくていい。
娘は、娘が歩きたい道を歩く。
そして私は、それを心の底から
「それでいいよ」
と言えるところまで来ることができた。
それが、ただただ嬉しかった。
ここまで、娘も本当によく頑張った。
私も、よくここまで来た。
いろんな気持ちが混ざって、
涙が止まりませんでした。
そしてそのとき、
ふと、
あの親子のことを思い出しました。
私はあの親子を見ながら、
ずっと、
「子どもの本当の願いに気づいてほしい」
と思っていました。
でも、本当は私も同じでした。
私にも、まだ手放せていないものがあった。
「親の願いを、子どもの願いにしなくていいよ」
あの親子は、そんなことを、
教えてくれていたのかもしれません。
「学校は行くもの」から、「私は行きたい」へ
今、
娘は自分で選んだ通信制高校に通っています。
慣れない電車に乗って、
自分で時刻表を確認して、
お弁当を持って、
学校へ向かっています。
少しずつ学校にも慣れてきて、
今度は自分から、
「週5日、登校してみたい」
と言うようになりました。
でも私は、
週5日学校に行けるようになることが
ゴールだとは思っていません。
週に何日通えるかは、たぶん、
そんなに大事なことじゃない。
私が嬉しいのは、
娘が、
自分で決めて
「私は、こうしたい」
と言えるようになったことです。
以前は、
「学校には行くもの」
そんな誰かが決めた世界の中で、
「行かなきゃ」
と私も娘も思っていた。
行きたいのに行けない。
行かなきゃいけないのに行けない。
その間で、
ずっと苦しんでいました。
でも今は、
違います。
「行くもの」
と言われる世界から、
「私は行きたい」
と言える世界に変わった。
「行かなきゃ」ではなく、
「行ってみたい」
「もう少しやってみたい」
そうやって、
自分で次の一歩を決めている。
誰かに言われたからじゃない。
私が引っ張ったからでもない。
自分で選んだ場所で、
自分で感じて、
自分で次を決めている。
私は、
それが何よりも嬉しく思っています。
子どもは、ちゃんと自分で選べる
親は、
子どもの幸せを願います。
できれば困らないでほしい。
できれば傷つかないでほしい。
できれば、
みんなと同じようにできたら安心。
そんなふうに願うこともあります。
それはきっと、
子どもを愛しているからこそ
生まれる願いでもあります。
だから私は、
「普通を願っていた自分が悪い」
と自分を責めません。
あの頃の私も、
娘を大切に思っていた。
娘に幸せになってほしかった。
ただ、
ひとつ気づいたことがあります。
親の
「こうなってほしい」と、
子どもの
「私はこうしたい」は、
同じとは限らない。
親が思う幸せと、
子どもが感じる幸せと、
同じとは限らない。
だから、ときどき、
自分に聞いてみるといいのかもしれません。
「これは、本当にこの子の願いかな?」
「それとも、
私が安心したくて握っている願いなのかな?」
子どもは、
ちゃんと自分で感じています。
自分にとって何が苦しいのか。
何ならできそうなのか。
どんな道なら、
自分は歩いていけそうなのか。
うまく言葉にできないことはあっても、
その子の中には、
ちゃんとその子なりの感覚がある。
大人が、
先に答えを決めなくていい。
必要な情報や選択肢を渡して、
一緒に考えて、
最後はその子に聞く
「あなたは、どうしたい?」
そして、
その子が出した答えを、
信じる。
私が「普通」を手放したら、
娘は、
自分で選んだ道を歩き始めました。
子どもは、
ちゃんと自分で選べる。
ちゃんと自分の感覚を持っている。
親にできることは、
その子が自分の答えを選べるように、
そばで一緒に考えることなのかもしれません。
そして、
その答えが
自分の思っていたものと違っていても、
「わかったよ。じゃあ、そうしようね」
って、その子の選んだ道を信じること。
あの日、
娘が自分の道を選べたことも、
私が「普通」を手放せたことも、
どちらも、
私たち親子にとって
大きな一歩だったと思っています。
🌸いま、同じところで迷いがある、誰かに聞いてもらいたい…そんな方へ🌸
わたし自身、娘の不登校の渦中はとても悩み、苦しみ、先が見えない暗闇の中にいるようでした。そんな日々の中、カウンセラー仲間やメンターにたくさん話を聞いてもらうことで、心の波を調整したり、落ち着かせたりすることができました。
もし、行き場のない思いがあったり、誰かと考えたいことがあったりするときには、遠慮なくDMからご連絡ください。無料カウンセリングでご相談にのっています🌛


普通というのはモンスターのようにやっかいですね。
未成年の間は子供自身も「みんなといっしょ」が正しいことのように思うから、現実との差に相当悩むと思います😓
NAMIさんの娘さんもたくさん葛藤して、先に普通を手放したのかなと感じました。
あっぱれです🪭
群れで生きる生き物は、隣と違うことをするのにすっごい勇気がいりますよね💦
NAMIさーん!貴重な経験談をありがとうございました🥹リスタックの方でもコメント失礼します🙇♀️
気になったことがあり、、おこがましいかなと思いつつ質問させてください💦
娘、学校行かず勉強遅れていて…不安がめちゃあります💦その頃、小中時代の家庭学習はどうされてましたか?
良かったらお話聞いてみたいな、なんて思いました🥲